公益財団法人とよなか国際交流協会

リレーコラム(2015年度~)

2024年4月 少しだけ北の国から@福島(第32回)

辻明典(つじあきのり)

 今のうちに、聞いておかなければ。
 そういう思いが募り、今年から聞き書きを始めた。地域に住むお年寄りたちから、戦前・戦中・戦後の話を聞き、ノートにひたすら綴っていくのだ。
 認知症が進行し、最近の出来事を覚えていられないお年寄りたちも、昔のことははっきりと覚えているのだから、人間というのは不思議な存在だと思う。六車由美さんの『驚きの介護民俗学』よろしく、驚くような生々しい歴史が、語りの中から現れてくる。
 例えば、こんな話が印象に残っている。小学校から旧制中学校までの同級生のなかに、朝鮮半島出身の友だちがいたこと。すぐ近所に、水がちょろちょろと流れる小さな堀があって、そのそばに朝鮮半島出身の人たちが住む集落があったこと。そこに、同級生の友人が住んでいて、一緒に机を並べ、学び、共に遊んだこと。理不尽な差別は確かにあったが、少なくとも一緒に遊んでいた仲間たちは、その友人をのけ者にしようとは決してしなかったこと。戦争が終わり、今となっては定かではないが、その友人は帰還事業で朝鮮半島に帰ったらしい、ということ。おそらく帰還先は、現在の北朝鮮だったのだろう、ということ。
 しかし、その朝鮮半島出身の友人は、公式な記録の中には、おそらく存在していない。同窓生の名簿のどこを探しても、彼の名前は載っていない。戦後の混乱、そして貧しい暮らしのなかで、旧制中学を中退して帰還してしまったからなのだろう。連絡先すらもわからない。手紙を書きたくても、送り先すらわからない。しかし、認知症が進むそのお年寄りの記憶と、その語りのなかに、その朝鮮半島出身の友人は、確かに存在しているのだ。
 2018年2月9日に、大韓民国で開催された平昌オリンピック。今でも、その日のつぶやきをはっきりと覚えている。セレモニーをテレビで見ながら、「ああ、あそこに、俺の友だちが住んでいるんだ」と語っていたことが思い出される。消え去りそうな歴史の潜みのなかに、耳を澄ませることで、その友人が存在していたという事実が、生々しさを伴って、浮かび上がってくる。
 このままでは消え去ってしまう歴史というのは、そこかしこにあるのだろう、と思っている。

辻明典(つじあきのり)

協会事業(哲学カフェ、プロジェクト“さんかふぇ”等)に参加していた辻明典さんが、2013年度より故郷である福島県南相馬市に戻り、教員をしています。辻さんからの福島からの便りをどうぞ。