公益財団法人 とよなか国際交流協会

リレーコラム(2015年度~)

2019年02月 少しだけ北の国から@福島

辻明典(つじあきのり)

少しだけ北の国から@福島(第17回)

 2017年3月31日、東京電力福島第一原子力発電所の事故によって双葉郡浪江町内全域に出されていた避難指示が、一部の地域で解除されました。ただ、「帰還困難区域」に指定され、放射線量が高い地域は、避難指示は解除されてはいません。(もっと言うと、事故から7年以上がたった現在も、「原子力非常事態宣言」は解除されていません。まだ、原発事故は終わっていないどころか、未だに「原子力非常事態」のなかで僕たちは暮らしているのです。)
 浪江町には、祖父が若い頃に修行をしていた、造り酒屋がありました。僕の実家は酒販店を営み、職住一体の暮らしをしていたので、子どもの頃は、浪江町の蔵から酒を卸しにやってくる大人たちの姿を、よく見ていました。トラックから酒瓶を倉庫に運んでもらった後、仕入れ値を払い、次の注文を取る、仕事口調の大人たちの背中を見ながら、「働く」とはどういうことなのかを、教わらずとも、肌で感じていたのです。
 「浪江にあった、あの酒蔵はどうなっているのだろう。」
 ふとそんな思いに駆られた僕は、酒造りの季節になれば、杜氏の里から酒屋者が集っていた、あの酒蔵があったはずの場所に向かってみました。軽トラックに乗せられて連れていってもらった記憶を辿りながら、その造り酒屋があった場所を探し当てました。路地を抜け、道がひらけてくると、古風な建物が見えてくるはず、だったのですが、その面影は跡形もなく、建設会社の仮設事務所が建っていたのです。
 原発事故によって、酒造りをしていないことを漏れ聞いてはいたのですが、せめて建物だけでも残ってはないかと思っておりましたので、ここまで跡形もなく壊された姿を直に見ると、ただただ、遣る瀬無い気持ちになってしまいます。
 土も水も放射能によって汚染され、米が作れない。米が作れないと、麹も作れない。
 米も麹も作れないと、酒も醸造できない。酒の醸造ができないから、杜氏たちが働く場もない。
 酒を醸すことができないので、料理の味つけも失われていく。
 土地が汚されるということは、土地に根ざした生業や文化が壊されることと同義なのです。
 最近、原発事故前の町の姿を、だんだんと思い出せなくなってきています。忘れそうになる記憶を辿りながら、かつての造り酒屋の跡を歩いていると、パトカーからおりてきたお巡りさんに「何をしているんですか?」と声をかけられました。
「実は・・・」僕は、詳らかに、この辺りを歩いていた理由を語りました。実家が酒販店を営んでいたこと。祖父がここで修行をしていたこと。ここから、酒を仕入れていたこと。そんなことを。
「いつも歩いているのはお年寄りばっかりだから。若い人が歩いているのは珍しいから、何事かと思って、声をかけちゃったよ。」お巡りさんはそう言いました。記憶を辿りながら歩いているだけで、職務質問をされるとは、思いもしませんでした。どんなつもりで、僕は声をかけられたのでしょうか。ただ複雑な思いだけが、胸の底に残ったのです。

辻明典(つじあきのり)

協会事業(哲学カフェ、プロジェクト“さんかふぇ”等)に参加していた辻明典さんが、2013年度より故郷である福島県南相馬市に戻り、教員をしています。辻さんからの福島からの便りをどうぞ。