公益財団法人 とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第98回 なんとかならないか、なんとかせねば。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

 2016年6月に出版した本、「家族写真をめぐる私たちの歴史」の共同作業を通じて、30歳前後の「在日」女性の研究者や活動者に出会うことができました。いついかなる時も民族名で生きる彼女たちの姿にうれしくなり、私が経験してきた、「在日」女性であることで味わう、苦痛や悩み、違和感などを共有することができました。
「女のくせに」「女らしくない」「女は男より下」と言われ続け成長したのは、私だけではありません。日本人からも朝鮮人からも女に生まれたというだけで、社会の主役にはなれないと諦めさせられることがたくさんあります。良妻賢母を目指せと言われても、誰に対してもはっきりものを言って、手芸なんか大嫌いな私は幾度となく「女の価値なし」と母親から罵られました。3人の弟たちのために、給仕をし、布団の上げ下ろしもさせられました。弟たちは私より成績もよくなかったのに、男だという理由だけで家族や親戚の中で大切に扱われていました。
不思議だったのは、大学で民族解放を論じる同胞男性の中にも「男性優位」のにおいが漂っていたことです。両親は学校に行けなかった世代だったので、教養がないから古いことを言っているのだと思っていた私は、かなり驚きました。いわゆる国立大学や有名私立大学に通い、マルクスやエンゲルス、マックス・ウェーバーを読むアカデミックな先輩たちが、男より賢い女は苦手だとか、日本人はともかく、同胞女性は大切につきあうなんていう結婚観を聞き、本当に居心地が悪かったです。「そんなに男がえらいのか」とか、「同じ女なのに、日本人女性はもの扱いなのか」と言い返したかったのですが、そのころの私は無知でした。そして、先輩たちが望む可愛くて、守ってあげたい女性像にはまらない自分を自覚しました。
1977年に短期大学を卒業した私は就職活動の中で、女性は期待されていないことを実感させられます。男性中心の社会では、家事や子育てで男の仕事を支えるというのが女の生きる道でした。在日韓国人、朝鮮人の場合、国籍条項で排除される日本社会で、男性も思い通りの仕事に就けません。専業主婦だった母は親戚中からあこがれの対象でした。「主婦論争」など関係なく、主婦にもなれない女たちが、生活を支え、家事も育児も義父母の介護も担っていたのです。
祖国統一や民族教育の理想に奔走する夫を、物心両面で支えてきた女性たちもたくさんいます。日本人から日本社会から排除されているから、女性差別は許されるのか。民族差別解消が一番で、女性差別はその後なのか。ようやく就職できた同胞の中小企業でのひどい扱いに怒り、ヴォーヴォワールを読み直し、待遇改善への声を上げましたが、結局、辞めざるを得ませんでした。その後、いくつかの職場を転々とし、これではいけないと35歳で教員免許を取り直しました。最初に勤務した夜間中学校で出会った一世の女性たちは、夫が死んでくれたから、学校に通えると語っていました。だからと言って、日本人女性から「在日」女性は大変ねと同情されると、なんで無関係なのよと怒りがわきあがります。私にとって女性差別と民族差別は別個のものでも、分けられるものでもありません。どちらも同時に私を苦しめるのです。
素晴らしい後輩たちと話をしていると、今も同じ思いをしていることに愕然とします。これまで、どうしようもない力関係の中で、言いたい言葉を飲み込んできたことが、彼女たちを苦しめているのではないのか。そして、最近の緊迫した朝鮮半島と世界情勢です。連日の報道にドキドキしながら、「なんとかならないか、なんとかせねば」と自問自答しています。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。