公益財団法人 とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第48回 世界の音楽たんけんたい

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

昨年九月、母国語教室に新入生を迎えることができました。韓国から来た女の子です。日本語がまったくわからず、初めて学校に来たときにはお母さんにしがみついていました。本当は三月生まれの二年生なのですが、本人の負担を少しでも軽くしようと、一年生で学習することになりました。私も韓国語で声をかけますが、みんなの前では話してくれません。固まっている彼女に、一年生の子どもたちはトントンと肩を叩いたり、身振り手振りでトイレの場所を教えたり、奮闘してくれました。また、母国語教室の子どもたちも、言葉が分からなくてもできるゲームを考えたり、ハンカチ落としを教えたり、学校で出会うと声をかけてくれたりします。そんなみんなの気持ちが通じたのか、だんだん声が出るようになってきました。一年生は毎日、「先生、『カヂャ』ってなに?」、「『ファヂャンシル』って?」と彼女が話す言葉の意味を聞きに来てくれます。
 毎週一時間ほど、母国語教室の前に彼女と一緒に宿題をしたり、日本語の単語を教えたりしています。運動会の作文は韓国語で書いたものを訳していましたが、最近はめきめき日本語が上達し、私が聞き取った感想や意見を日本語で書けるようになりました。今は、日本に来たときの気持ちや毎日の出来事を思い出しながら、一緒に書いています。「はじめて学校にきたとき、どきどきしました。オンマの手をきゅっとにぎっていました。先生の名まえもおぼえられませんでした。ともだちとはなすこともできませんでした。」と不安な気持ちをつづります。「1年生のみんながあそぼうといってくれます。ともだちがかん国語で『カッチノルヂャ』といってくれました。わたしはびっくりしました。どうしてかん国語をしゃべれるのかききました。べんきょうしたといっていました。だんだんなれてきて、学校がたのしくなってきました。」と思いもしない韓国語で友だちが「一緒にあそぼう」と言ってくれたことがきっかけで、彼女はどんどん活発になっていきます。韓国での生活の様子や、おばあさんが大好きなこと、ともだちや学校のことなど本当にうれしそうに話をしてくれます。お母さんも「学校が一番楽しいと言っているので安心しています。」と笑顔です。まだまだ、日本の生活習慣に慣れないことや、在留権がどうなるのか心配ですが、韓国語を忘れずに頑張ってほしいです。
 彼女に「お母さんと話すときには絶対、韓国語を使ってね、忘れてしまうともったいないし、韓国人の自分を大切にしてほしい。」と話すと、目を見開いて「私が韓国人なのは当たり前。忘れるなんてとんでもない。」としっかりとした口調でした。これからもずっと、このままの気持ちでいられるのかどうかは、私たちのサポートにかかっています。
 今年度の一年生の国際理解学習は、音楽で世界を旅する「世界のおんがくたんけんたい」でした。日本のお経のような「声明」からはじまり、韓国朝鮮、中国、インドネシア、インド、トルコやヨーロッパの音楽を国立民族学博物館の映像を見て知っていきます。世界にはたくさんの国があることや、肌の色が違ったり、体格が違ったり、言葉が違う人々がいて、その人たちが作った音楽があることを知りました。似ている楽器やリズムを知ることで、国や民族を超えた人々の繋がりを感じる事もできました。海を渡って、アフリカ、アメリカ、中南米の音楽で締めくくりますが、アフリカの太鼓のリズムの面白さやコール&レスポンスの掛け合う歌を体験し、アメリカのジャズやロックも聴きました。ラテンは思わず体が動き出すサンバや心ひかれるフォルクローレなど、そのリズムは先住民の人やアフリカの人、ヨーロッパの人たちをはじめとする、多様な文化が混じり合って作られた音楽です。手製のマラカスを振りながら、「マンボ№5」のかけ声を「ウー!」と叫ぶ子どもたちを見ていると顔がほころびます。
 戦争中は外国の音楽や言葉は禁止されていました。そんな時代にもしなったら、この子たちは「それはおかしい」と言ってくれるでしょう。人が往来し、出会い、文化が混じり合うと、一人ひとりがちがったリズムでもどこかで重なり合い、心地よい音楽が作られていくのだと思います。彼女もみんなと一緒に、世界の音楽を楽しんでいました。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。