公益財団法人 とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第36回 『飛ぶ教室』との再会

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

 エーリヒ・ケストナーの『飛ぶ教室』の読書会をしました。この本と最初に出会ったのは、二人目の子どもを産んだあとでした。仕事もやめ、ずっと子どもたちと過ごし、夫が帰ると、日々の話題は子どものことばかり。そんな話題も限界の頃、図書館から借りてきてくれたのが、この本でした。未来の学校は飛行機に乗って、現地に出かけ、授業をするという演劇の練習からはじまる、思春期の少年たちの友情と、少年たちを見守るおとなたちの話です。最初は一九六二年初版の高橋健二さんの格調高い翻訳でしたが、最近、読んだのは池田香代子さん訳の、二〇〇六年に出された、岩波少年文庫です。新しい本のあとがきが素敵で、女性を揶揄する表現についても、そういう社会状況だったということが、きちんと説明されています。
 読書会での意見も、はっとさせられる見方、読み方があり面白かったです。親に捨てられた子、貧しい親のために頑張り続ける子、弱虫な自分を変えたいと思う子、知的でニヒルな子、などなど。登場する少年たちの共通点は、たとえいかなる状況にあっても、仲間のためなら勇気を出して闘うというところです。「こんな頼りになる仲間が、今の子どもたちにいるのだろうか。」という意見や「こんなに、まっすぐに尊敬してもらえる、おとなたちがうらやましい。」という感想に同意しながら、ケストナーのすごさに感じ入りました。
 『飛ぶ教室』が書かれたのは、一九三三年です。ドイツではヒトラーが政権を取り、ナチスの支配下にありました。言論の自由を封じるため、ユダヤ人やナチスに反対する人が書いた本は焼かれる、「焚書」が行われました。その中に、ケストナーの本もありました。『飛ぶ教室』を再読してみると、ケストナーお得意の痛烈な批判が、たくさん込められていることがわかります。ノートが焼かれるところを読んで、なるほどと思い、拉致監禁した人質を一〇分おきに殴打するところは、秘密国家警察が浮かびます。この時代に、少年たちの言動や行動を通じて、ヒトラーやファシズムを批判しているのです。
 「賢さをともなわない勇気は乱暴でしかない。勇気をともなわない賢さは屁のようなものだ。勇気ある人々が賢く、賢い人々が勇気を持つようになって、はじめて人類も進歩したと実証されるのだろう。」という言葉が心に落ちました。子どもたちへは、「子どもの涙は、おとなの涙より小さいなんてことはない。不運はしっかり、目をひらいて見つめることを学んでほしい。おたおたしない、しくじっても、しゅんとならない、へこたれない、くじけない心を持ってくれ。」と力強く語りかけています。ケストナーが言うように、理不尽な攻撃に対しては、ガードをかたくし、落ち着いて、勇気と賢さを発揮したいと思います。
 『子どもの涙―ある在日朝鮮人の読書遍歴―』という本があります。ケストナーの言葉を引用した、一九九五年に出版された、この本は、韓国でも読まれています。著者の徐京植さんが、最近、平凡社から『在日朝鮮人ってどんなひと?』という本を出されました。中学生に、難しいことをやさしく、深く、語りかけてくれます。
 ケストナーは、おとなが読んでも面白く、意義深い児童書をたくさん書いています。素敵な先輩や友人たちと、同じ本に感銘を受ける瞬間はとてもうれしいです。そして、子どもたちと素晴らしい本を共有できる幸せは格別です。『飛ぶ教室』がとても新鮮で、学ぶことが多いのは、「今だからこそ」かも知れません。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。