公益財団法人 とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第31回 『デフ・ヴォイス』との出会い

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

週一回は、図書館に行くようにしていますが、思わぬ本との出会いがあります。
 丸山正樹さんの「デフ・ヴォイス」を見つけました。「デフ・ヴォイスってなんだろう。」本の題名に疑問を持ち、開いてみると、聴覚障害を持つ人の話だということがわかりました。正確には、生まれながらの、ろう者である両親と兄を持つ、男性の話でした。警察の事務官だった男性がある事件をきっかけに退職を余儀なくされ、幼い頃から使っていた、手話の通訳士として仕事に就きます。病院や銀行などの付き添いや、事件の被疑者の通訳をするうちに、自分の生い立ちに思いを馳せます。
 男性は幼い頃、転んで泣き叫んでも、前を歩く母親が、振り向いてもくれないことから、世間一般の母親とちがうことに気づきます。その時から、何でも一人で耐え、解決することを学びます。そして、家族の中で自分一人だけが聴こえるという、疎外感を持って育ちます。家族の中の会話は、日本語の口語に準じた「日本語手話」ではなく、母語としての「日本手話」でした。この二つの違いも、初めて知ることができました。ろう者の人たちは生まれた頃から使っている、「日本手話」を母語とし、自分たちを障害者ではなく、異なる母語を持つ人間として考えているそうです。「人間として母語を持つことは最低限必要なことです。ろう児にとっては手話以外にありません。」と文中にあるように、母語である「日本手話」でしっかりとした言語の土台を築くことが大切だ、という考えに共感しました。
 ろう者の人たちは学校に行って、一般の人たちと会話できる「日本語手話」を習得し、読唇の学習もしますが、かなりの努力を強いられます。音のない世界に生きる人が、音のある世界の文化を学びなおすのです。特に読唇など、よほど、ゆっくりはっきり、相手が話さない限り、完全な理解は無理です。我が子の将来を心配するあまり、幼い頃から手術をしたり、厳しい訓練を強要する親を持つ、ろう者の弁護士も小説には登場しています。彼は親の期待に応えようと努力しますが、常に健常者と同じになることを意識した、しんどい学校時代を吐露しています。
 しかし、ろう者の人たちが皆、学校に行けたわけではありません。貧しい生活の中で、進学できず、「日本語手話」を身に着けられなかった人たちは、必要な情報が得られず、就職も大変です。このような人たちが、犯罪に巻き込まれると、どうなるのでしょうか。現場近くに、たまたま居合わせ、尋問を受けても返事ができず、不審者として扱われる。取り調べを受けると、意味も分からず、うなづいてしまう。犯罪を犯しても、黙秘権すら「日本語手話」では理解できないことを男性は見抜きます。そんな被疑者を「日本手話」で助けたことから、ろう者の運動についても知るようになります。というか、作品を通じて私が知ることができました。
 「デフ・ヴォイス」とは、ろう者の人が出す声です。男性は子どもの頃、家族から自分の名前を人前で呼ばれることを、恥ずかしいと思っていました。周りから奇異の目で見られる、母親の声が嫌でした。物心つくと、親の通訳としての生活がはじまります。父親が癌で余命数ヶ月の宣告を受けた時も、最初に聞かされたのは子どもの自分でした。自分の通訳で、泣き崩れる母親をどうすることもできなかった、辛い思い出。大人になってからは家族と距離を置くようになりますが、自分の結婚式でも家族の通訳をする羽目になります。しかし、家族を大切に思う気持ちが彼の心の底に流れています。
 小説は、ろう者の子どもたちを訓練する施設での、虐待、復讐、家族愛とリアルな展開になっていきます。
 もうお気づきだと思いますが、外国人の子どもたちの環境や教育を語るときと同じような場面がたくさん出てきて、本当に驚かされました。
 この作品は今年度、「第一八回松本清張賞」の受賞を逃したそうですが、出版されたことの意味は大きいです。立場は違っても、同じ思いを持った仲間がいることの心強さを感じた一冊でした。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。