公益財団法人 とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

ふぁんぼさん特別号 なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらいました

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

2009年よりとよなか国際交流センターおしらせに掲載してきた連載コラム「なんじゃ・カンヂャ・言わせてもらえば」の連載は105回(2018年2月号)まで続きました。「なんじゃ・カンヂャ・言わせてもらえば」は新たなコーナーに変わりますが、105号まで続いた本コラムについて、これまでの振り返りと書き続けてきた「思い」を聞きました。

105回ということは、8年と9か月書いたということです。そんなに書いたのかと我ながら驚き、一度も締め切りに遅れなかったことにほっとしています。毎月のコラムに何を書くか考えることは、苦痛でもあり、楽しみでもありました。
その月に体験した感動や歓び、怒りや迷い、後悔など一番心に残った出来事を書いてきましたが、締め切りの間際まで、何度も何度も見直し、もっとしっくりくる言葉はないか、すっきりした表現はないかと悩み、最後にはこれが自分の限界と諦め、原稿を送ってきました。夜遅くまで原稿に向き合い、ぴったりくる言葉がはまると、生きていて良かったと本気で思いました。
コラムには主張がないといけないと考え、「在日」女性としての視点や考え方をいつも意識して書いています。また、できるだけ、分かりやすい文章にしようと努力してきました。そして、だれかを排除したり、傷つけたりすることのないようにするのが一番大切な課題でした。私にしか書けないコラムを目指しましたが、どうだったのか心もとない限りです。
日本社会の中では少数者ですが、日本に生まれ育った外国人としては日本での生活経験が長く、韓国より日本のことをよく知っている私です。この先も日本での暮らしを続ける覚悟ですが、コラムを書きはじめた2009年は、バラク・オバマ氏が黒人初の第44代アメリカ合衆国大統領に就任し、日本が自民党政権から民主党政権へ選挙による初の政権交代が実現したという歴史的な出来事があり、期待もふくらみました。一方で、朝鮮半島では、2011年に死去した金正日(キム・ヂョンイル)政権下で北朝鮮が「弾道ミサイル」を発射し核開発をしていることを理由に支援の一切を打ち切った韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領が就任1周年を迎えています。李政権は言論や労働運動への弾圧を強め、放送局の解職ジャーナリストたちの強い抵抗にあいます。MBCとKBSに何が起こったのか、それについて描いたドキュメンタリー『共犯者』が、昨年(2017年)8月に上映され、韓国で静かに注目されていました。この映画は、朴槿恵(パク・クネ)前大統領が弾劾されなかったら、上映が困難でした。朴槿恵政権は「野党支持者」と判断する俳優や文化人、企業をブラックリストにまとめ、あらゆる圧力をかけ続けていたからです。詳しくは、2月16日金曜日午後6時からとよなか国際交流センターで開催される、岡本有佳さんの講演会『日韓の間で考える“表現の不自由”と民主主義―検閲、規制、自粛と抵抗―』でお話を聞いて下さい。
コラムを書き続けた9年足らずの間、ほとんど、学校での実践にあけくれていましたが、ここ数年、節目になることがありました。2015年8月にベルリンを訪問し、テロのトポグラフィーやラーフェンスブリュック女性強制収容所を見学できたこと。2016年6月に『家族写真をめぐる私たちの歴史』を出版できたこと。2017年4月、池田で多文化な子どもたちが元気になる実践を引き継げたこと。6月に韓国で少数在籍地域の民族教育の重要性について報告できたことなどです。さて、これからどんなことができるのか、一生懸命考えています。
私のコラムの一番の誠実な読者は、とよなか国際交流協会のスタッフの人たちです。毎回、励ましの感想を書いてくれました。そして、「いつもコラムを楽しみに読んでいます」という声を聞くたびに、力が湧いてきました。自分の思いや考えをつづり、誰かに読んでもらえるという営みが、生きる力になることを実感する日々でした。
長い間、本当にありがとうございました。今後も、なんじゃ・カンヂャ言わせてもらえる私でありたいと思います。

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皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。