公益財団法人 とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第51回 いつまで、証言させるのか

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

五月二五日(土)に開催された「日本軍『慰安婦』被害者証言キャンペーンinおおさか」に参加しました。九一年に金学順(キム・ハックスン)さんが初めて名乗りを上げて、二二年が経ち、毎週、ソウルの日本大使館前で行われている「水曜デモ」は、五月二九日で一〇七七回を迎えます。戦後五〇年近く経って、「慰安婦」問題が被害者の告発によって、私たちの目の前に表れたときの衝撃は今でも忘れられません。「戦争中のことだから仕方がなかった。」「日本だけでなく外国にも同じようなことがあった。」という責任逃れや、「一般女性を守るための必要悪だった。」という「身代わり論」まで、男性だけでなく女性の側からも発せられることに、民族差別と女性差別の根深さを感じました。
 元「慰安婦」だった女性たちは差別を恐れ、自分を恥じ、家族の迷惑になるからと息を潜め生きてきました。そんな女性たちが声を上げたのは、日本の国会で「民間業者がやったこと」という政府の発言に、いてもたってもいられなくなったからです。そして、自分たちが口を閉ざして死んでしまったら、また、同じことが繰り返されるという責任感からでした。「仕事があると連れて行かれ、そのまま帰って来なかった女性がいた。早く娘を結婚させようと親たちは必死になった。だから、私は一度も会ったことのない夫と結婚するため、日本にやって来た。」という在日一世の話を聞いたことがあります。「在日」女性たちも、自分たちに繋がる「慰安婦」問題の解決と再犯防止のための世論喚起を行って来ました。
 私が所属していたグループは、元「慰安婦」の女性たちが安心して暮らせる「ナヌム(分かち合い)の家」の建設資金を集めるための演劇上演や講演会を日本全国で企画、開催しました。また、証言を残し、「慰安婦」制度が作られた歴史的背景を考え、現在の女性差別と民族差別を考える資料集の発行や、ドキュメンタリービデオ「それでも生きた・クレドサラワッチ」を制作しました。「在日」の元「慰安婦」だった宋神道(ソン・シンド)さんの裁判支援や戦後補償ではない「国民基金」撤回の声を上げていましたが、ここ一〇数年ほどは、「ミリネ通信」を通じて「慰安婦」問題を巡る動向を伝えることぐらいしかできていません。しかし、最近の心ない発言に、いてもたってもいられなくなって、集会に駆けつけました。同じ思いを持った人たちで五〇〇人の会場は溢れ、入りきれなかったたくさんの人々たちは会場の前で待機していました。その中に、本当に久しぶりの知人や遠方の友人たちを見つけ、うれしかったです。
 私は元「慰安婦」の女性たちからたくさんのことを学び、勇気づけられました。彼女たちの存在を知り、闘う姿を見て、「自分も生き続けられる。」と励まされる多くの女性たちがいます。しかし、いつまで高齢の彼女たちに証言させるのでしょうか。辛い証言の後、李政美さんや安聖民さんと一緒に、「アリラン」を歌い踊るハルモニの元気な姿にほっとさせられました。証言に来られた二人のハルモニたちは「ナビ(蝶)基金」を誕生させ、コンゴ民主共和国の内戦中の性暴力被害者や、ベトナム戦争時の韓国軍性暴力被害者の女性たちに活動支援金や自立支援金、生活費などを援助しているそうです。集会会場でも基金が集まっていました。
彼女たちは被害者であり、生存者であり、歴史の証言者であり、活動家です。昨年(二〇一二年)五月に開館したソウルの「戦争と女性の博物館」を訪問し、そこでも交流活動を続けているハルモニたちに会いにいこうと思います。その前に、六月八日(土)六時半からクレオ中央で開催される、沖縄の高里鈴代さんのお話を聞きに行かなければ。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。