公益財団法人 とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第60回 映画「SAYAMAみえない手帳をはずすまで」

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

 一九六三年、埼玉県で女子高校生が殺された狭山事件。五〇年以上、無実を訴え続けている石川一雄さん、早智子さん夫婦のドキュメンタリー映画です。監督は大阪市生野区出身の金聖雄(キム・ソンウン)さんです。上映の前に監督のお話を聞きました。
 二〇一〇年、監督は仕事で狭山を訪ね、初めて石川さんを取材しました。漫才のようなやり取りをする、一雄さんと早智子さんを撮りたいという気持ちになります。五〇年間、殺人犯の汚名を着せられているのに、どうして、こんなに素敵に生きられるのか知りたいと思ったそうです。一九六三年生まれの監督が生きてきた五〇年間は、石川さんが狭山事件を背負わされた五〇年間と重なります。「仲間からはテーマが大きすぎると言われたが、早智子さんと一雄さんの素敵な出会いをたくさんの人たちに届けたいと思い、あくまでも職人として映像をつくりたかった」と語られます。三年間、撮り続け、昨年の四月から編集に入り、半年かけて一五〇時間を一〇五分にまとめました。「無罪を証明する映画ではなくて、つべこべ言わなくても、狭山事件を知らなくても、二人の生き方を見れば、すぐに石川さんが犯人なんてあり得ないと分かる。そんな映画になってほしかった」と熱く語る監督です。
 会場に、早智子さんが突然現れました。上映会にいても立ってもいられなくなり、駆けつけたということです。今年、一月一四日で七五歳になる一雄さんは、とても元気ですと話し始め、一雄さんは不運ではあったが、不幸ではなかったと、「無実」という漢字を教えてくれた看守のことや、夜行バスで来てくれる支援者たちを紹介されます。証拠もようやく、一三五点が開示されましたが、まだまだ進まない苛立ちを抱える中、この映画が大きな力になると力強く語られました。早智子さんは裁判所の前で、雨に濡れながら無実を訴える一雄さんの姿が胸に詰まると言っていましたが、落合恵子さんは、一雄さんが海で泳ぐところが好きと言われていたそうです。
 大学の先輩に連れられ、大阪市内の民族学級に行ったとき、「石川さんは無実だ」と書いたゼッケンをつけ、登校していた「在日」の中学生がいました。同和教育推進指導員をしていたとき、石川さんが講演に来てくれました。チャンゴ演奏をする子どもたちを見て、「『在日』の子どもたちがたくさんいるんですね」と喜んでくれたのですが、「いえいえ、解放学級の子どもとその仲間です」と応えると驚かれていました。大切な友人の中には、石川さんは自分の父親だったかもしれない存在だと、長年の支援活動を続けている人がたくさんいます。
 監督の願い通り、誰が見ても、石川さんは無実だと、怒りを持てる映画でした。私がぐっときたのは、石川さんのお兄さん夫婦の姿でした。一雄さんは、このお兄さんが犯人にされるのでは、と嘘の自白をさせられてしまいます。お兄さんは親きょうだいを守るため、懸命に働き、一雄さんを支えてきました。事件後、結婚し、身内とも絶縁状態になったお義姉さんは、差別と偏見の中で石川さんの家族を守ってきました。「真犯人は死んでいるにちがいないが、自分たちは一雄の無罪を勝ち取るまで死ぬまで闘う」と決然と話す姿が涙を誘います。一雄さんや早智子さんが語る部落差別は、理不尽という一言に尽きます。その最たるものが、狭山事件です。差別は人の人生を踏みにじり、破壊します。無実を訴え続ける、石川一雄さん、早智子さん、家族の人たち、支援者の人たちの存在が、私たちを守ってくれている、という思いを強くしました。石川さんは無実です。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。