公益財団法人 とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第61回 「パッシング」と「逃げ場」

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

 見た目が白人にしか見えない黒人女性だと、どんな扱いを受けるのでしょうか。旅先では白人に間違われるかもしれません。自分の前で、堂々と黒人への侮蔑的な言葉や感情を表す白人に怒りを覚えるでしょう。しかし、大勢の白人の中だと、大声で抗議することはできません。どんな暴力や辱めを受けるかわからないという恐怖の中で、やり過ごすしかない自分の無力さは生涯、忘れることができません。
 白人になりすまし、結婚した女性は毎日が緊張の連続です。妊娠すると、黒人の子どもが生まれやしないかと悩み、幼なじみの友人に会うと、黒人だということを暴露されないかと心配します。そんな女性たちを主人公にした小説、「パッシング・白い黒人」は1929年に黒人女性作家、ネラ・ラーセンよって書かれました。彼女の作品は、ノーベル文学賞作家トニ・モリソンなどの黒人女性作家たちに大きな影響を与えています。私が読んだのは、2006年に出版された新訳本です。法的に差別されていた時代に、黒人として誇り高く生きようとしていた人々にとって、人種詐称は、まさに裏切り行為でした。しかし、黒人であることを隠す生活を選んだ仲間を排撃することはできません。できれば、そっと見守っていたい。しかし、運命はそうはさせてくれないのです。読み終わると、ずっしり重く複雑な気持ちになりました。私にとっては、今につながる問題だからです。
 日本人になりすましていた子どもの頃、中学生時代。高校生になって親しい友人に明かしたりしてトレーニングを積み、大学では本名を名乗りました。健康保険、通帳など全て名前を変更しましたが、病院や銀行で名前を呼ばれる度に緊張したものです。アルバイトやカルチャースクール、国内ツアーで民族名を名乗る必要なんかないと居直るのは簡単ですが、そんなことをすると、本名が名乗れなくなると思い、萎える気持ちを奮い立たせていました。見た目が日本人と同じなのに、「在日」だと名乗り続けるのは面倒ですが、そうしないと自分の存在がないものにされてしまうことに気がつきます。
 自分が何者か名乗った途端、態度を変えられる体験は私にもあります。一生懸命、学校で本名を名乗ってきたのに、就職活動では名乗れない。日本人に生んでほしかったと親をなじり、八方ふさがりの気持ちになる社会です。そのままの自分を受け入れてもらえる日まで、どれだけ努力すれば良いのでしょうか。頑張れば、報われる日が来るのでしょうか。
 それでも、日本人になりすます生き方に、戻りたいとは思いません。先を行く人たちに引っ張ってもらったり、並んで歩く人たちに支えてもらったり、後から来る人たちの追い風を感じながら、これからも民族名を名乗り続けたいです。
 そのためにも、「逃げ場」を作っておきたいのです。もう耐えられないと思ったとき、気持ちを立て直すおまじないをたくさん準備しています。心が休まる香り、気持ちが高揚する音楽、雑念を払ってくれる書道に水泳、勇気が出る読書と映画、無条件に味方になってくれる人などなど。
 勿論、見た目が違うことで嫌な思いをしたり、外国人の親を恥じたり、自分の民族や出自を隠さなければ安心できない学校や社会を変えていくのは当然のことです。しかし、表面化する最近の外国人排斥の中で、「逃げ場」はあるのかと、小説を読みながら考えました。私が「在日」であることを認証される居場所が、「逃げ場」にもなるはずですよね。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。