公益財団法人 とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第65回 「別の星」に来た子どもたち

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

6月21日に大阪府立長吉高校で開催された、大阪府在日外国人教育研究協議会第22回研究集会(府立外教大会)に参加しました。久々の府立高校での開催ということで、全体会を楽しみにしていたのですが、期待以上の内容でした。中国語によるスピーチでは、「家族滞在」という不安定な在留権のせいで、アルバイトも進学も困難という高校生の訴えに知らなかったなと恥ずかしい思いをしました。文化発表も素晴らしく、とりわけ、心に響いたのが府立高校卒業生のリレートークでした。
リレートークの一人、ムスターファさんは、アフガニスタンでの戦火を逃れ、難民認定を受け、2002年に来日しました。和泉市の小学校の5年生に編入し、現在大学生です。ムスターファさんが日本に来たとき、何の準備も覚悟もなく、「別の星」に来たという感覚だったそうです。「アフガニスタンでは学校に行ける子どもは少なかったので、日本で初めて学校に行くことができたが、いきなりひらがなやカタカナの学習で勉強についていけなくて、兄弟たちはみんな勉強が嫌いになった。分からないことが多すぎて、学ぶ意欲がなくなってしまう。自分だけが学業を続けることができたが、今でも漢字が書けない。母語であるダリ語とペルシャ語そして、第三の言葉が日本語なので、ある程度のレベルにしかいけない。場面ごとにことばを変えられないし、通りいっぺんの話し方しかできない」と、一山越えれば、また山が見えるような、言葉の壁について語っていました。
 小学校5、6年は本当にしんどい学校生活だったそうです。中学校では、日本語もだんだん分かるようになり、アフガニスタン人ということを隠し、日本人になりたいと思ったこともありました。通訳の先生と母国語を話すことができ、日本への不平不満を話せたことでとても気持ちが楽になり、「その時は、外国人だという自覚が持てるが、教室に入ると日本人にスイッチする」という毎日でした。でも、同じ国の仲間はいなかったが、外国人の仲間がいたので救われたそうです。「高校一年生のとき、まだ嘘をついていた。アフガニスタンのイメージが悪くて言えなかった。いまでも、アフガニスタン人だということを知らない中学校時代の友人が半分ぐらいいる。高校で仲良くなったのが、5人の外国人の仲間たち。集まると、自分の国の自慢話がはじまる。先生に誘われて、ユニセフのスピーチコンテストに参加したのをきっかけに、自分のことを出そうと思うようになった。文化祭や地域のお祭りでもアフガニスタンの料理などを出すようになった。でも、進路に向けて、どんなに頑張っても日本語習得や学習はなかなか報われない。こんなにたくさんの前で話せるのも先生のお陰だが、中には間違っている先生もいた。先生たちは自分に置き換えて考えてみてほしい。生徒のバックグラウンドを知って、日本の文化を理解ができるようにしてほしい。一方的でなく、お互いに学んでいくとうまくいく。日本ではこれが当たり前だからと押し付けられるのは嫌だった」というお話は、本当に頷けました。
 漢字や英語のない国から日本に来た子どもや大人たちは、文字が絵にしか見えません。私がアラビアの文字を見た時に感じるのと同じです。自分が当事者だったらという想像力と、相手を理解しようとする姿勢が要求されますね。自分の国のイメージが悪いので名乗れないという気持ちや、日本人のふりをしてしまうというのも「在日」が長い年月、経験してきたことです。多文化な子どもたちが寄り合い、言いたいことが言える。そんな「母国語教室」を目指しているのですが、お話を聞き、たくさんのヒントをもらいました。全体会の後、分科会で充実した討論ができたのもうれしかったです。多文化な子どもたちや保護者、卒業生たちが孤立しないために何ができるのか、地道な実践を重ねている仲間がたくさんいることに気がつきました。だんだん、元気になってきました。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。