公益財団法人 とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第67回 「私」をつくる物語

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

 「空想の翼を広げる」というのは赤毛のアンでしたが、私も物語を読むと、現実の重力からふっと軽くなる気持ちに何度もなりました。読み書きができるようになると、父が給料日に買ってきてくれる、「ダンボ」や「白雪姫と7人のこびと」などのディズニーの絵本を心待ちにしていました。その後、貸本屋さんで、「マーガレット」や「少女フレンド」という少女マンガを読むようになりますが、恋愛物に飽き足らず、楳図かずおの「へび少女」などの怪奇ものを夜遅くまで読み、眠れなくなったこともあります。小学校高学年になると、「三銃士」や「モンテ・クリスト伯(岩窟王)」に夢中になり、フランス革命後の19世紀という時代に、黒人の血をひく褐色の肌を持って生まれた、作者のアレクサンドル・デュマのファンになりました。「少女パレアナ」や「赤毛のアン」は身寄りのない女の子が自分らしさを失わず人生を切り拓き、本当の友だちを見つける物語ですが、この主人公たちには大いに共感させられ、同一化していました。「若草物語」では、もちろん、活発な次女ジョーに夢中になりました。
その頃、毎月楽しみにしていたのが「女学生の友」という雑誌です。女学生が主人公の物語が満載でした。とりわけ気に入っていたのが、付録についているミニノベルスでした。40数年前のことなので、あいまいな記憶ですが、顔にケロイドがある看護学生や聴覚障害を持つ女学生の物語を電車の中で読み、涙が流れました。題名だけ覚えている、三木澄子の「北国のサビタの花は」はどんな物語だったのでしょうか。1950年、創刊当初の掲載内容は、吉屋信子の少女小説、村岡花子の翻訳小説などの読物に、少女漫画、学習ページなどを加えたものだったそうです。70年代に愛読していた私の記憶に残っているのが、佐伯千秋、佐山透です。オルコットやモンゴメリーの翻訳物を読んだのも、「女学生の友」でした。
最近読んだ、モーリス・グライツマンの「フェリックスとゼルダ」の主人公は、お話を作れる、ナチス時代のユダヤ人だった少年です。ポーランドで本屋をしていた両親から、ユダヤ人だということを隠して、「孤児院」で待っているように言われていたのですが、待ちきれず、両親を探しに家に戻る途中で、殺された親衛隊の親を持つ少女ゼルダに出会います。住んでいた家には見知らぬ人がいて、町はナチス占領下のゲットーになっていました。少年を匿ってくれるポーランド人のお陰で、危機を脱し、新しい生活がはじまります。両親を目の前で殺されたり、収容所に送られたりした子ども達と隠れ家で過ごしますが、夜になると子どもたちは親のいない不安と恐怖で眠れません。そんな時、フェリックスは即興で考えた楽しい物語を聞かせます。「孤児院」でも、ゼルダと逃げているときも、辛くなると楽しいことを思い出し、お話をしていたのでした。みんなを元気にするため、一生懸命に、お話を考えるフェリックスでしたが、大切な仲間が次々に殺されていきます。生きる希望を失い、復讐のため体に手榴弾を張り付け、ナチスと一緒に自爆しようとしますが、同じ本を好きだった敵側の少年に助けられます。この本には、ユダヤ人、ナチス、ポーランド人の子どもたちをはじめ、ユダヤ人を迫害する人、密告する人、匿う人など様々な立場の人たちが登場します。その中には、ナチスに復讐しようとするユダヤ人少年たちの姿もあり、自爆テロという現在の問題にも迫っています。
物語を読むと、いつも「在日」だという現実から逃げることができました。朝鮮人であることを隠し、民族名を忘れて生きていると、だんだん自分が何者か分からなくなってきます。しかし、必ず差別や排除という形で、朝鮮人だということを思い知らされるのです。ユダヤ人であることを隠して生きるフェリックスの姿と、子どもの頃の自分が重なります。物語の登場人物たちが、本当の自分に向き合う準備をさせてくれたのだな、と思います。
親を選べない子どもたちが、自分の立場を受け入れ、日常の中の価値あるものに気づいていく。そんな、素敵な物語を読みながら、秋の夜長を過ごします。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。