公益財団法人 とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第5回 現実を映し出す民族 学級の子どもたち

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

「在日」の民族教育の場として、朝鮮学校などの民族学校があり、日本の学校の中に設置された民族学級があります。日本の植民地支配が終わり、解放された朝鮮人たちはすぐに帰国の準備をはじめました。真っ先に取り組まれたのが、朝鮮語教育でした。日本で生まれた子どもたちは日本語しか話せず、祖国に帰ったら困ることになると考えたからです。アメリカと日本政府の民族教育への弾圧に抗議し、死者まで出た、一九四八年の阪神教育闘争の後、日本の学校の中に民族学級が設置され、現在も増え続けています。その数は大阪市内で百三校となりました。
先日、六十年近い歴史を持つ、大阪市内の民族学級の授業参観をしました。教室の黒板には、「一、友だちの本名(民族名)を覚え呼び合う。二、習ったウリマル(ことば)はどんどん使おう。」という民族学級の約束がはってあります。その上には歴史の年表があり、右には朝鮮半島の地図、白頭山や金剛山の写真があり、左には韓国の紙幣があります。ハングルの数字や言葉、民族衣装を着た子どもたちの写真などが、教室いっぱいに掲示してありました。
私の先輩になる民族講師のソンセンニム(先生)が弾くオルガンに合わせて、「天安三差路(チョナンサムゴリ)」という歌を唱う、六年生の子どもたちが十二人いました。天安(チョナン)は独立運動で獄死した柳寛順(ユ・グアンスン)が生まれ育った所で、独立記念館があります。そんな話もソンセンニムから伝えられます。次に、ハングルのカードを見せて、家族の呼び方などを復習します。「オンマ(お母さん)」と呼んでいる人と聞くと、数人の子どもたちが手をあげていました。国名も古朝鮮

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。