公益財団法人 とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第93回 中学生につながる思い

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

 授業に呼んでもらえると、自分のモチベーションも上がるし、情勢や子どもの意識を知ることもできます。何よりも、意外な質問を受け、自分の知識を総動員して応える場面に出会うと、わくわくします。教科書に掲載されている朝鮮の民話「三年とうげ」の絵を見ながら、日本との文化のちがいについて話をしています。日本はお箸を使うのに、韓国はスプーンも一緒にならんでいるのは何故なのかと聞かれると、スープの種類がたくさんある韓国料理について紹介します。子どもの頃、私の家にはいつも大なべにスープが作ってありました。誕生日にはワカメいっぱいのスープ、風邪を引いたときには鶏一羽を煮込んだ参鶏湯(サムゲタン)、お客さんが来たときには肉や野菜がたくさん入ったユッケジャン、けがをしたり、元気がなくなったりしたときはテールスープです。豆もやしや干ダラのスープは毎日のように飲んでいました。「在日」が国民健康保険に加入できるようになったのが、1970年代から82年までの間です。それまでは病気になると高額の医療費を自費で払うので、よほどのことがないと医者にかからなかったそうです。病気予防、症状緩和のためのスープでもあったわけです。
 温床(オンドル)なので、押入れがないことや、床が固くて正座ができず片ひざを立てて座るので、民族衣装は長いスカートになっていると話すと、文化のちがいには必ず理由があることに気づいてくれます。布団や衣装に使われる、青や赤、黄に白、黒の5色の模様は、それぞれに意味があり、悪い気を防いで無病長寿を願う子どもの衣装にも取り入れられています。日本と韓国、朝鮮の文化を比較して語ることができるのが「在日」の強みです。同時に、自分たちの生活の中に残っている祖国の文化を確認することもできます。
 授業で呼んでもらった中学校でも、文化の違う人とどんな出会いをするのかを考える時間にしてもらおうと、写真や私が着ている民族衣装などを見せながら話をしました。「在日」として民族名で生きるとどんな体験をするのかも、実例を上げて説明をしました。自分の子どもたちが中学生のときに遭遇した、嫌な体験を話すと200人以上の中学生たちが静まり返り、その結末を聞こうとしています。一人で差別に立ち向かうのはとても辛いが、周りの友だちが味方になってくれると本当にうれしいと最後に話すと、質問がたくさん出ました。
 「日本人になりたいと思っていたのに、何がきっかけで民族名を名乗るようになったのか」、「誇りを持つということはどういうことなのか」、「もし、友だちから実は『在日』だと告白されたとき、どうすればよいのか」などなど。質問など出ないだろうという予想がはずれ、真摯に答えるとぎりぎりの時間になりました。授業を終えると、数人の女子生徒たちに囲まれました。「在日」の友人がいて、将来について悩んでいるが、自分たちはどうすればよいのかわからないと、相談に来てくれたのです。
 中学生のとき、部活の仲間から突然、「ひょっとして日本人ではないの」と聞かれたことがあります。ぎょっとして、とっさに出た言葉が「名前が変わっているから、よく間違えられるねん」でした。私の返答に納得していない彼女の顔を思い出しました。45年以上も前のことを忘れていないのは、嘘をついたことへの後ろめたさと、ひょっとして彼女も仲間だったのではと思うからです。すでに名前も忘れ、なぜそんなことを聞いてきたのか確めることはできません。高校生になってはじめて親友に朝鮮人だと打ち明けたとき、「そんなこと関係ないやん」と言われ、ほっとしたと同時に、釈然としない気持ちも残りました。今まで通りの私が朝鮮人だということを無視した、友情とは何なのか。結局、その後の付き合いは形だけになってしまいました。
 中学生たちが「在日」の友だちのことで悩む姿に癒され、明るい気持ちになります。解決できなくても、自分の立場で何ができるのか、一緒に考えてくれる友だちがほしいですね。もっとはやく、本当の自分の姿を見せる勇気を私も持ちたかったです。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。